2018年02月10日

第603回『小競り合いについて』

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 お好み焼きが広島風だろうと大阪風だろうとそんなもんうまかったらどうでもいいんじゃー!
 争うならもっと教養になる争いをして!
 それこそどうでもいい塾生の悩みに、塾頭と塾生たちが思考を巡らせ、あれやこれやと論じます。
 論じるのもある種の小競り合い。
 果たしてクリエイティブな話題は出るのか。
 展開の読めないスリリングな作劇ネトラジをお楽しみください。
 
posted by sakugeki at 13:54| Comment(2) | 日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
塾生のみなさんごきげんようです。

「小競り合い」。面白いテーマですね。
会話から来る小競り合いで言えば、41対59というのが一番揉めます。2対98とか10対90ならかえって揉めないですね。

でも、こういう欧米の二元論的発想は基本的に日本人には馴染まないと思います。日本人は曖昧な部分を大事にしますからね。
何故二元論的な発想が好まれるか?簡単です。考えなくていいから、楽だからです。

でも、世の中見れば「どっちとも言えませんなぁ」みたいなことの方が多いと思います。
2つに1つ、さあどっち?で片付くことと片付かないことがあるくらいは認識した方がいいかもですね



屁理屈にもある種の生産性があるみたいなご意見もありましたが、僕は大学でESS(英語研究会)にいたのでチョッピリわかりますが、それってディベートの発想に近いなと思いました。

僕もやっていたんでわかりますがディベートは屁理屈、曲解、こじつけ、揚げ足取り、なんでもありです。要は相手を論破して黙らせたらいいんです。
スポーツ的な感覚でやる言葉の格闘技。勝ち負けを審判がジャッジ。終わったら恨みっこなし。これがディベート。

僕はやってて思いましたが日本人にはディベートは合わないなと思います。

だからディベート的な発想で、あれこれやるなら屁理屈もまあいいけど、所詮屁理屈は屁理屈、屁みたいな理屈だから屁理屈なんだと思います。

その屁理屈を1流の芸にしたのが上岡龍太郎さんで、屁理屈を言うならせめて彼くらいのキレとセンスを磨いてほしいですね。
例を挙げれば靖国神社にイチャモンつける某国の理屈がまさにそれ。屁理屈です。

本当に建設的な生産的な議論は、ここは違うけど、ここは同じだよね、ここはわかりあえるよねという一致点、落としどころを見つけるためにやるのが議論だと思います。わかりあえる1つの結論を見つけるためにやるのが議論。

また「討論」。これは勝ち負けが目的。賛成反対の敵味方に分かれて意見をぶつけあう。だから時には喧嘩になることもあります。どっちが正しいかを審判が公平に判断する。審判は絶対で逆らえない。これが討論ですね

論争ってのもありますね。これは場合によっては命がけでやる覚悟が要ります。相手を言葉、言論で殺す覚悟です。冗談ではなく相手が自殺するまで叩きのめす覚悟でお互いやるのが論争です。

対話、これはコミュニケーションのための物で正否を決めるのが目的じゃないし勝ち負けを決める物でもない。
対話に討論やディベートの発想を持ち込んだら下手すりゃ殴り合いになります(笑)そこは弁えたいですね。

まあ小競り合いしようがなんでもいいんですが言葉って誤ったら怖い凶器にもなることは自覚して言葉を大事に使いたいものです
Posted by 中島浩光 at 2018年02月14日 17:34

 >中島浩光 さま

 ご聴取とコメント、ありがとうございます。

 論と論でのぶつかり稽古は好きなのですが、ディベートが苦手だった意味が中島さまのコメントでわかりました。
 屁理屈をたれるならば、キラリと光る屁理屈であってほしいのは日本人的な考えなのですね。
 正論ばかりもおもしろくない、けれども的外れやダサい屁理屈を出されると途端に萎える……。
 言葉で人の気持ちを揺り動かすというのは、なかなか奥深く難しいものだと、今回学びました。

 言葉を紡ぐ作家は、一言一言に責任と光るものを持たせなければならないのだなと思うと、
 発する物事を大事にしていかなければならないですね。

 次回の作劇ネトラジもどうぞよろしくお願いします。
Posted by 船生蟹江(司会進行役) at 2018年02月14日 20:18
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