2017年10月07日

第585回『心の闇とは』

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人とは善と悪を心の中で共存させている。その中にあるのが心の闇
……それは誰しが持つ暗黒部分。口には出来ない本音、嫉妬に攻撃心。
正に心の中で飼っているモンスター。では、そもそも闇って何だろう。
昔の死刑見物は闇? グロや残酷に惹かれるこの好奇心は闇か?
でも、この闇によって恐怖が生まれ、想像力を刺激して文化や作品が
生まれて来たのでは? 闇を考えるうちに闇が闇を呼ぶ回。
そして、塾における本当の闇は、もしかして……? 
posted by sakugeki at 11:48| Comment(2) | 日記 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
塾生のみなさん、ごきげんようです。

「心の闇」・・・・冒頭東野さんが仰ったことに共感しました。その手の言葉が僕も好きではありません。
その手の言葉で人間を「人間なんてきれいなこと言ってても一皮剥いたらこんなもんじゃん」と一括りにしたいだけではないかと思います。

確かに人間はその手の言葉で、どっちかに片づけたい部分は大いにあります。てっとりばやいし、考えなくていいし、もっともらしく聞こえるし・・・・

でも人間は心の闇なんて誰でもあります。
神様みたいな善人もいないし、絵に描いたような悪人もそうはいません。
悪の中にも善があり、善の中にも悪が潜んでる。
朝人を殺した人間が、その帰りに池で溺れてる子供を命がけで助けることもあり得る。

人間はそれくらい複雑な生き物で、「心の闇」なんて薄っぺらい言葉で括れる人間なんていないでしょうね。
人間はいいものでもあるし、悪い物でもあると思います。どっちにも転ぶし、どっちにも成り得る生き物だと思います。

伺っていて失礼ですが、甲斐田さんは「人間は所詮こんなもんだ」という願望というか結論があって、そのために「心の闇」というキーワードを便利だから使っているだけではないかと思いました。

作家の遠藤周作さんはフランスに留学されてましたが、クリスチャンの立場からヨーロッパの善悪や芸術を掘り下げてるうちに、そのあまりの奥が深すぎて「病気」になったそうです。

どうせ人間の闇を語るなら、そこまで掘り下げて欲しいです。人間の善も悪も両方をキチンと見ていただきたいですね。フランクルの「夜と霧」なんか読めば、人間の鬼畜のような面と神のような崇高な面の両方が見られます。
コルベ神父がアウシュビッツで行った行為なども併せて考えて人間の闇を語るなら語っていただきたいなぁ・・・

それと東野さんも言うように甲斐田さんの人間の性欲などの本能を「闇」だと言う発想は僕も絶対違うと思いますよ。本能を否定するなら人間そのものを否定することになりますが?

それから「人の不幸は蜜の味」も、確かに一面の真理ではあります。僕の中にも人の不幸を見て「ざまみろ」とにたつく面は大いにあります。
でも、これとてもどっちもあるわけです。
人の不幸を面白がる人が、他人の不幸に心を痛めることもありますし、泣くことすらあるし、寝られないほど心配することもあるわけです。

それに「人の不幸」と言っても、本人は意外と自分を不幸と思っていなくて苦しいけど充実して生きているかもしれないし、なにが幸福でなにが不幸かわかりゃしません。
「いや本人がどう感じていようとわたしから見て不幸だから不幸なのだ」と言うなら、それは非常に傲慢だと思います。
Posted by ひろみつ at 2017年10月08日 16:56
ひろみつ様

コメント有難うございます。
今回のテーマ『心の闇』ですが、ホラーを書く上で、いつも考えているテーマでもありました。人間性の欠落、欲望の暴走、善人でありながら、はずみで堕ちてしまう心の陥穽。どれが闇というのかは人それぞれですが、「人を人として見ない、そんな共感性を失わせる、もしくは無くしてしまうというのは、どんな作用が働いているんだろうか?」と思うのです。実際あった事件のノンフィクションなど読むと、ケースは人それぞれですけど。

本能を闇とはいうのは間違ったことを言いましたが、人間の持つ残虐性など、理性で押さえるべき本能を解き放つのは獣性と言うのか、闇というのか考えているところです。イジメ問題は……闇かな。

時代背景や価値観によって、何が闇か光なのか違ってくると思います。
次回、もう少し違う方向でこのテーマを考えようと思っています。
Posted by sakugeki at 2017年10月10日 21:51
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