2016年07月30日

第523回『悪役:考』

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すぐ隣にいるのはイヤだけど、社会に必要なもの。
ノンフィクションを作るにおいては、とっても必要不可欠なもの。
そんなピリリと刺激なスパイス、悪役について考えてみると……
ストーリーによっては悪役の配置は違う。おお、悪役は自分自身
悪だと考えてはいないらしい。そして水戸黄門様、彼も実は
見方を変えれば悪の存在である。そして日本と西洋、悪の違い。
『悪』の詰め合わせです。
posted by sakugeki at 10:21| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
塾生のみなさん、ごきげんようです。
「悪役・考」。とても面白かったです。

映画なんかの場合、ジャンルにもよりますが悪役が魅力的だと、その映画がグッと面白くなるのは間違いないですね。

僕が印象に残っている悪役は「ダイ・ハード」のハンスグルーバー、「許されざる者」のジーンハックマン扮する保安官。「フレンチコネクション」のシェルニエ。「用心棒」の卯之助ってところかな・・・

「水戸黄門」もそうですが、よく考えれば遠山の金さんだって悪い奴ですよ。遊び人の金さんなんて言ってますが、早い話がヤクザです。
「男はつらいよ」の車寅次郎も、冷静に考えればあんな悪い奴はいません。この人達は一見善玉で実は悪玉って感じかな・・・

テレビドラマにもなって人気のあった「一心太助」は伊勢のいい啖呵で悪を懲らしめる正義の味方みたいに言われてますが、大阪ではまるで人気がないし、東京でもいわゆる本物の江戸っ子には「江戸っ子の面汚し」で、まったく人気がありません。

一心太助は大久保彦左衛門の屋敷に出入りしていた魚屋で、それを誇りにしているような男。つまり大久保彦左衛門という武士(権力者)の威光をバックにした権威主義の嫌な奴というわけです。

では現実世界での善と悪となると、これは難しい・・・というか、絵に描いたような善人もいないかわりに、絵にかいたような悪人もそうはいないのでは?と思います。

ゆえに僕は性善説も性悪説もどっちも正しいし、どっちも間違ってると思います。1人の人間の中に自分が犠牲になっても人を助けたいと言う気持ちと、他人を蹴落として自分だけが甘い汁を吸いたいという気持ちが共存しているのが普通の人間で、我々人間はそういう矛盾を抱えた生き物です。

本当の「悪」とは権力のためとか、金のためとか、そんなことのためではなく、ただ悪を行うのが楽しい、悪のために悪を為す、そのこと自体が喜びなのが本当の悪でしょうね。エリザベートベトリみたいな女が本当の純度100%の「悪」でしょう。

彼女に較べれば他はせいぜい「毒婦」だと思います。ただ欧州の悪は、やはりキリスト教がありますから、どんなおぞましい悪も、どこかで神に結びつく、信仰に結びつくという発想が根底にあるように思います。遠藤周作さんが言われてましたが、ヨーロッパは善も悪もあまりに深すぎてあまり突き詰めると病気になる。それくらい深いと言われてました。

身の毛もよだつような悪の行為を通して、その彼方にいる「神」をも傷つけることができるという発想が無意識の領域のどこかにあって、それは信仰と結びつくのではないかという内容でした。遠藤周作さんは突き詰め過ぎて病気になったそうです。
Posted by at 2016年07月30日 22:14
コメントいつもありがとうございます。
おかげさまで、テーマを考える原動力になっております。

私が好きな悪役タイプは、正に「一見洗練された風の悪党の親玉」フレンチコネクションのシェルニエはど真ん中です。悪役の基本形ですね。

悪役というのは主役と対立する欲望や、主義主張を持っていて欲しいです。それが正義か悪か、見る角度によって変わってしまうという図式が楽しい。
そして、権力や金など分かりやすい欲望をを持っていることで「同じ人間である」という安心感がどこかにあります。

思考はない。ただ殺すだけの13金のジェイソンや、食べるだけのゾンビは、私にとっては、同じ人間で悪役というより、人型の災厄という見方です。

一番怖かったキャラといえば、貴志祐介さんの「黒い家」の殺人者である菰田幸子ですね。
この人間には、心がないと指摘される記述があります。欲望や感情はあっても、人が人とたりえる「心」が抜け落ちている。表面上はそうとは見えない人型のモンスターなんて、リアリティがあって怖かったですね。

いつかあんな「凄く厭」なキャラクターを描いてみたいのが目標です。






Posted by sakugeki at 2016年07月31日 22:41
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